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「内在するもの」  コリントの信徒への手紙二13章5~10節

 アドベントに入りました。アドベントクランツにロウソクの明かりが一つともされました。ロウソクの明かりを見ていると、不思議と自分自身の内面を振り返る様になります。アドベントのこのとき、一人ひとりがイエスさまを迎え入れる準備を、心を整えて行きたいと思います。
 今日の聖書は12章14節、13章1節にあるように、3度目の訪問をする前に書かれた手紙です。パウロにとってはコリントの教会は、愛すべき時別な存在でした。だからこそ、今日の個所の最後の10節で言っているように、コリントの教会の信徒たちと喜びをもって再会したいのです。苦言や厳しいことは先に済ませておきたいのです。
 具体的な問題もいろいろあったとは思いますが、今日の聖書の最初の5節にある、信仰者として生きているかどうか「反省」「吟味」すること、この一言に尽きると思います。なかなか難しいことですが、アドベントだからこそ、私たちも自分自身を内省、自省したいものです。
 イエスさまは少し文脈が違いますが、マルコ7章で、人の心の中からこそ、悪いものが出てくる、と言われました。残念ながら私たちの心の中には悪いものがうじょうじょいる、それが現実かも知れません。さらに言うなら、創世記8章の最後で、神さまは、あのノアの洪水の後、人に対し大地を呪うことは二度としない、それは人が心に思うことは、幼いときから悪いからだと言われました。
絶望的な気持ちになってしまいますが、しかし、だからこそ、主イエスがこの世に来られたのです。そんな私たち人間を救うために。
パウロはイエス・キリストが私たちの内におられる、と言うのです。どんなに失格者と見えようとも、そんな私たちの内に、イエスさまが居て下さることによって、私たちは神さまの方を向いて、生きることができるのです。
日本的な考え方かも知れませんが、最高で、最強のイエスさまによって、内なる諸悪を粉砕、浄化していただき、少しでも、神さまが喜ばれる人間として生きて行きたいと思います。たとえその歩みがどんなに稚拙であっても、遅いものであっても、最後までイエスさまと共に歩みたいと思います。
 アドベントのこのとき、私たちの心に、今年もイエスさまを宿すことができるように、内在するものとなってくださるように、自分自身をしっかりと見つめながら、一歩一歩歩んで行く者でありたいと思います。

2019年12月1日 アドベントⅠ礼拝      笹井健匡牧師

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