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「光の方へ」 ヨハネによる福音書3章16~21節

 アドベントも第3主日を迎えました。イエスさまを迎える用意はすすんでおられるでしょうか。そういう私自身、今年はどうも心がざわついているというか、波風が立っているというか、そんな感じでなかなかクリスマスへと集中して行くことができずにいました。…。
 パウロの手紙が書かれた時代は、まだエルサレムが崩壊する以前でした。しかし福音書、特に最後に書かれたヨハネによる福音書は、時代もずっと後ですし、地域もおそらくエルサレムからはかなり離れた、どこかギリシャ語を話すクリスチャンの多く存在していた地域だと考えられます。
 つまり、大変困難な状況に置かれていた中で、ギリシャ語を話すクリスチャンたちが、自分たちにとってのイエスさまはこういう方だった、との思いから書き記されたのがこのヨハネによる福音書だと思います。
 今日の聖書の初めの16節は大変有名な個所です。クリスマスのメッセージとしても私自身もよく語って来ました。…。しかし今年はその後の方、「光」について心が留まりました。先週、偶然、昭和のスターと言われた方が永眠されました。また美しい「コールドムーン」を見ることができました。イエスさまは1章4節にあるように、「人間を照らす光」としてこの世に来られました。しかも神さまは「裁く」ためではなく「救う」ためにイエスさまを送って下さったにもかかわらず、人々は光ではなく闇を選んだ、というのです。
 私たちには多かれ少なかれ、隠し事があります。それが「ばれる」のを恐れて生きています。この私たちの心の在り方が、恐れ、が神さまに背を向け、この世の闇の方へと近づいてしまうのかも知れません。他者に対しては、人間に対してはどうしても言えなくても、神さまにだけは真実を語る者でありたいと思います。すでに神さまはすべてをご存知ですから、実は隠してもしょうがないのです。そうではなく、偽りのない自分のありのままの姿を、思いを、神さまに申し上げるとき、心を開いてすべてを打ち明けるとき、神さまは私たちを抱きしめ、すべてを赦し、大きな愛で包んで下さるのです。そのために、神の救いの印として、救いの光としてイエスさまは誕生されました。
 私たちはすべての恐れを捨て、すべてを神さまにおゆだねし、心を全開にして、このアドベントのときを最後まで歩み切り、そして今年も救い主として誕生してくださる、そのイエスさまの光の方へ歩んで行きたいと思います。

2019年12月15日 アドベントⅢ礼拝 笹井健匡牧師     

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