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「新しい道」  マタイによる福音書2勝7~12節

 今年、2019年もいろいろなことがありました。2018年に三宅八重子姉、難波玉恵姉、さらに藤岡友幸牧師を天に送り、悲しみの中、1月をなんとか過ごせた、と思っていました。しかし、2月に田中稔子姉が倒れられ、その後入院、施設、また入院という大変な日々が続きました。他にも高齢の姉妹兄弟は、いろいろ体調をくずされたり、入院されたりを繰り返しました。また、手術をされ、現在も平川英勝兄は入院をされ、リハビリをされています。
 この世的に見るならば、悲観的になってしまうような一年でしたが、クリスマスの準備や、訪問に多くの方々が加わられ、児島教会の、主にある交わりがさらに深められた一年であったようにも思います。互いの不足を補い合いながら、主の教会の御用に、少しは誠実に歩めたのかも知れません。
 今日の聖書は「公現日」、1月6日の聖書の個所です。イエスさまが誕生されてから2週間が経っています。馬小屋に誕生されたイエスさまは、おそらく近くの「家」に移動することができたのではないかと思います。そしてヨセフは登録のためにやらなければいけないことや、赤ちゃんイエスさまに必要なもののために忙しくしていたのかも知れません。「博士」たちは、母マリアと共にいる、赤ちゃんイエスに会いまみえることができ、拝み、宝を献げました。星の導きもあり、彼らは並々ならぬ思いを与えられたのではないかと思います。そして夢のお告げによって、別の道を通って帰って行ったのです。
 ユダヤ人の王に会いに来た彼らは、おそらく、それ以上の存在、何かははっきりとは分からないが、天的な存在を、赤ちゃんイエスさまに感じたのではないかと私は思います。彼らはイエスさまに出会ったことによって、もはやそれまでの彼らではなく、新しい人間になったのではないか、そして新しい人間には新しい道が必要だったのです。
 私たち人間は王的な存在を欲する傾向があります。イスラエルの民も預言者サムエルに王を求めました。現代でも、王のいない多くの国には「大統領」がいます。イギリスではなんとテレビで、エリザベス女王がクリスマスメッセージを発信します。そしてそれを人々は楽しみにしているのです。牧師(司祭)の話よりいいのでしょう。
 「博士」たちがこの世の王ではなく、真の天的存在の王に出会って新しくされ、新しい道を歩むようになったように、クリスマスを迎えた私たちも、またそれぞれに新しい道を歩んで行きたいと思います。イエスさまを心に抱いて…。
2019年12月29日 降誕節第1主日礼拝    笹井健匡牧師

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