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「新しい地」 ヨハネの黙示録21章1~4節

 新しい年、2020年の最初の主日礼拝を迎えました。1日(水)新年礼拝でお会いしていない方々には、新年おめでとうございます、です。新しい年も共に神さまの導きを信じて困難を乗り越え、上を向いて歩いて行きたいと思います。
 迷いましたが、ヨハネの黙示録を取り上げさせていただきました。「黙示録」が書かれた時代は、迫害が強く、もはや通常の表現方法をとることができない時代でした。それで迫害者には分からないように、自分たち仲間内、つまりクリスチャンの間でだけ分かるように考えて書かれたのです。
 しかし、そんな中にあっても、今日の聖書には、はっきりとした、そして大変力強い希望が描かれています。エゼキエル書の37章27節前後の影響を受けながら、信仰の友たちに、希望を持ち続けて歩むならば、必ずや新しい時がやってくる、と励ましているのです。
 「新しい天」や「新しいエルサレム」についてはよく分かりませんが、3節以下の、神さまが共にいて下さって、死も、悲しみも、嘆きも、労苦もない世界というのはなんとなく分かるような気がします。中心は、「神、共にいます」ということです。マタイの誕生物語にある「インマヌエル」(神は我々と共におられる)です。救い主イエスさまの誕生の時に、すでに約束されていた「共なる神」が、この地上で完全に実現する、というのです。
 パウロの手紙はじめ、いろいろな書簡が書かれた時代、そしてその後、福音書が書かれた時代には、まだ通常の表現で、日常の言葉で福音を語り合うことができたのです。書物にすることができたのです。しかし、この「黙示録」の時代には、それすらできない、大変厳しい時代でした。「検閲」をかいくぐって書かれたと言えると思います。キリスト教は、そんな大変な時代を生き抜いて、今日まで伝えられたのです。もちろん、そこには負の遺産もありましたが。
 この後、時代がどのようになっていくかは、知る由もありませんが、イエスさまを迎えて、そしてそのイエスさまを信じ、従う者として、どんなことが起ころうとも決して希望を捨てずに、神さまが必ずや私たちに新しい地を示して下さる、与えて下さる、そして共にいて涙をぬぐい取って下さる、そのことを信じて、この2020年も互いに祈り合い、助け合い、励まし合いながら、信仰の歩みをすすめて行く者でありたいと思います。

2020年1月5日 降誕節第2主日礼拝 笹井健匡牧師

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