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「悔い改め」  ルカによる福音書10章13~16節

 今週の水曜日、26日は、灰の水曜日です。4月11日(土)まで受難節(レント)に入ります。毎年それぞれ工夫されて、克己の生活を送っておられることと思います。
 イエスさまの受難と十字架への歩み、それを神の御心として受け入れ、人間としての弱さに打ち勝たれながら一日一日歩みをすすめて行かれる、そのイエスさまのことを覚えて、私たちも少しでも自らの弱さに打ち勝って行く歩みをして行きたいと思います。
 さまざまな弱さを持つ私たち人間ですが、今回私は子どもの頃のことを思い出しました。悪いことをした時、親から、「こっちをちゃんと見て、本当のことを言え」というようなことを言われた記憶があります。後ろめたいことがあると、親の顔を見ることが出来なかったのだと思います。
 悔い改めというのは、方向を変える、神の方に向き直ることです。そうすると克己のはじめにまず悔い改めをしなければならないのかも知れません。
 今日の聖書は、イエスさまの非常に厳しい言葉が並んでいます。コラジン、ベトサイダ、カファルナウムはいずれもガリラヤ湖北岸の町です。コラジン、ベトサイダに対しては、ティルス、シドンという町が言及されていますが、カファルナウムに対してはありません。しかしマタイ福音書を見ると、あのソドムが言及されています。神から大きな罰を受けた町々の名前を出すことで、今のガリラヤ湖北岸の町々の在りようを厳しく批判されたのだと思われます。
 では、何が問題だったのでしょうか。背景には当時、イスラエルが植民地であり、ローマの文化、すなわちギリシャ的な文化、建築等が入って来て、ユダヤの宗教、文化が危機的状況にさらされていた、ということがあると思います。特にカファルナウムは比較的大きな町であり、そこにはギリシャ様式の巨大な建築物がそびえたっていたのだと思います。
 ヤハウェの神を忘れ、あるいはないがしろにして、この世の栄に心を奪われている人々に対して、神に立ち帰るように、イエスさまは言われたのだと思います。
 私たちも様々なこの世の栄華に心を奪われることが多い者ですが、レントの時、もう一度、しっかりと自らの心を見つめなおし、心をまっすぐに神さまの方へ向け、そして十字架への道を歩んで行かれるイエスさまのことをしっかりと見つめながら、克己の歩みを為して行く者でありたいと思います。

2020年2月23日 降誕節第9主日礼拝     笹井健匡牧師

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