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「平和の実践」 イザヤ書2章1~5節

説教題「平和の実現」               イザヤ書2章1~5節
 
 今日は、75年前、長崎に原爆が投下された日です。いつもはテレビで式典を見ているのですが、今年はそのことを覚えながら、特に11時2分を覚えながら礼拝をささげて行きたいと思います。
 今日の聖書は、「平和」という言葉を思い浮かべるとき、私の頭に真っ先に出てくる聖書の個所です。特に4節の「剣」を「鋤」に、「槍」を「鎌」に打ち直すというところが心に響きます。戦いの武器を、農業の道具に変える、つまり人を殺すものを、人を生かすものに変えるというのです。
 この変革、変換は、イメージがしやすいように思います。翻って、現代社会でこのことが文字通り可能なのかどうか、実際のところ私には分かりません。非常に精巧につくられた核兵器に代表される現代の武器を、農業などの平和の道具に打ち直す、つまり作り替えることができるのかどうか分かりません。
 しかし人類の叡知を集めて高度な武器をつくったのであれば、同じく人類の叡知を結集すれば可能なのではないか、とも思わせられます。競争から共生へ、縦社会から横社会へ世界が変わって行く中で、実現することができるのではないかと思わせられます。
 「長崎の原爆」の関係で有名な永井医師は多くの著作を残されています。その中に以下のようなものがあります。
  …愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で
  美しい世界が生まれてくるのだよ。
 いとし子よ。
  敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど
  愛しなさい。愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。愛の世界
  に敵はない。敵がなければ戦争も起こらないのだよ。

 結局は、武器を平和の道具に変えることも、戦いをやめることも、自分と共に同じ時を生きている他の人々を、人として尊敬し、心から愛することからすべては始まるのかも知れません。
 神さまの約束を信じて、必ず平和は実現することを信じて、祈りを熱くしつつ信仰の歩みをすすめて行く者でありたいと思います。

   2020年8月9日 聖霊降臨節第11主日礼拝    笹井健匡牧師

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