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「命の息」 創世記2章6~9節

 私たちはふだん、何も意識しないで呼吸をしています。しかし最近テレビ等でもいろいろな健康法が紹介されたりしていますが、その中の多くで、呼吸が大事です、ということが言われるようになりました。特に今、コロナ禍にあって、マスクを着用しているため、呼吸が浅くなっている人が多いと言われています。幸い私たちはまだ比較的マスクを外しやすい環境に生きているように思います。
 心臓の動きと共に、呼吸は大変重要です。生きるために必要な酸素を取り入れ、二酸化炭素を排出するのが最も重要な働きですが、深呼吸したりすると心も体もリフレッシュされたりします。ラジオ体操も呼吸に始まり、呼吸に終わるような感じになっているように思います。
 今日の聖書には、神さまが人を創造されたとき、命の息を吹き入れられた、と記されています。今までは何となく、その神さまの息を受けて、人は生きるようになったのだ、くらいに思っていました。しかしよく考えてみると、私たち人間の中に、神の息が入れられたのです。私たちの中には、神さまの息が、文字通り息づいている、ということです。
 イエスさまの言葉としても、「永遠の命」という言葉が福音書にはよく記されています。私たちの中にあるのは、実は神さまの命の息なのです。だからこそ、この世の歩みを終え、天に帰るときには、肉体は土に帰りますが、魂は、永遠に生きる命として天上に移されるのではないかと思います。つまり、実は私たちは通常、「永遠の命」というと死後の世界、天上の世界のみを思い浮かべますが、実はすでにこの世を生きている時から、永遠の命である、神さまの命の息を受けてそれを内に保ちながら歩んでいるのです。そう考えると、人間は何と尊い存在なのかと改めて思わされます。
 命の息を吹き入れて、生かして下さっている神さまに感謝し、どんな状況であろうとも、その中で精一杯命を輝かせて生きて行く者でありたいと思います。

           2020年9月13日 聖霊降臨節第16主日礼拝 笹井健匡牧師

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