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「偉い者」 マタイによる福音書18章1~5節

 長い聖霊降臨節を過ごして来ましたが、今月の25日は、降誕前第9主日になりますので、日曜日で言うと今日を入れて後3回、聖霊降臨節の主日礼拝をささげます。聖霊の働きは「目にも見えず」、現代人には特に分かりにくいところも多いのですが、かなり鈍感な私でも、人生の節目、節目に、大きな導きがあるように感じています。
 最近よく、会社を辞めて牧師になる決心をした、いわゆる召命の時のことを思い出します。長い年月が経ち、その時思っていたのとはずいぶん違う歩みをしているように感じるときもあるのですが、しかし神さまの目から見れば、きっとこれでいい、それはそれでいい信仰生活だったのかも知れません。
 教会で一番私が衝撃を受けたのは、いろいろなことがこの世の価値観、今まで自分が経験してきた常識と真反対である、という姿でした。信仰をもってから、聖書の読み方が変わりました。今日の聖書もまさにその典型的な個所です。
 マタイでは少しぼかしたように、まるでふらっと弟子たちがイエスさまのところに何かの用事で来て、そのついでにたずねたように記されていますが、同じことが書かれているマルコ、ルカを見れば、弟子たちが、自分たちの中で一番偉いのはだれか、と議論していたことが書かれています。人が集まると、そこに、序列をつけたくなる、そんな心理をこそ、イエスさまは一喝されたのではないか、と私は思います。
 4節の「自分を低くして」という言葉は、マタイがマルコ9章35節の言葉を言い換えたものだと思います。「低くして」というのは単に低姿勢になって謙虚になってということではなく、相手を尊重する、敬愛する、つまり相手を「高くして」ということだと思います。そしてそれは当時の社会で最も低い存在と思われていた子どもたちを想起させます。
 私たちはイエスさまがそうであったように、神さまのことを、まるで子どもが親を無条件で愛しているように、愛して行く者でありたいと思います。神さまを愛する者こそが、真の「偉い者」なのです。
 互いに受け入れ合い、愛し合い、神さまの導きを信じて、共に信仰の歩みをすすめて行く者でありたいと思います。

           2020年10月4日 聖霊降臨節第19主日礼拝 笹井健匡牧師

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