• 記事検索

RSS

「愛は・・・」 コリントの信徒への手紙一13章4~7節

 今日は収穫感謝日です。長い期間愛情を込めて育てられた作物は、本当においしいものです。旬のものを食べることができる、これ以上に贅沢なことはないのかも知れません。
 先週は、鷲羽山で野外礼拝をささげました。その時私が感じたのは、神さまも大いなる愛情をもって、この大自然を創造された、ということです。まわりのものすべてが神さまの愛にあふれているように見えました。
 今日の聖書は、「愛」についてパウロが語る、ちょうど扇の要のような位置に書かれているものです。13章の前の個所では、愛が無ければ、命をささげたとしても、何にもならない、と記されています。どんな善行も、愛あればこそ、大きな実を結ぶのではないかと思わされます。
 また後の個所では、有名な「信仰」「希望」「愛」の永遠性が語られ、その中で最も大いなるものは「愛」だと言うのです。パウロがイエス・キリストへの信仰の中で愛を一番大事にしていることがよく分かります。
 今日の個所には、愛について、いろいろな大切なことが述べられています。一つ一つすべてに触れることはできませんが、パウロらしさが出ているように私が感じるのは、「忍耐強い」に始まり「「すべてに耐える」で終わっていることです。大変な伝道活動をした彼だからこその重い言葉だと思いました。
 愛、というと、私たちはすぐ相手、つまり他者のことを思います。つまりあの人のためにこうしようとか、この人のために祈ろうとか、そういう具合です。しかし、その前に、今日の聖書が教えているのは、自分自身が愛になる、そのために必要なことが列挙されているように思いました。つまり自らがまず愛の人になることが大切だとパウロは言いたいのかも知れません。
 自分自身が愛で満たされて行ったなら、その愛は自然と周りにあふれて、多くの人々や動植物、自然を愛して行くことにつながって行くのかも知れません。
 イエスさまも愛にあふれた方でした。次週からアドベントに入りますが、神さまが私たち人間を愛して、その印としてイエスさまをこの世に誕生させて下さったことを、そしてそのことによって、弟子たちは、愛を知ったことをもう一度深くこころに覚えたいと思います。


    2020年11月22日 降誕前第5主日礼拝    笹井健匡牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):