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「分かち合い」 使徒言行録2章43~47節

 先週ペンテコステを迎え、初めてのこととして、礼拝後、みんなで草取りをしました。はじめ役員会で話していたときは、正直あまりピンと来ませんでした。しかし、実際やってみると、とてもきれいになり、教会の誕生日をみんなでお祝いしたような、とても暖かい気持ちになりました。本当に、ありがとうございました。

 今日の聖書は、誕生したての教会の様子を伝えてくれています。いろいろなことを思わされる個所ですが、今回は45節の最後の「分け合った。」という言葉が、特に心に残りました。教会に集った人々は、さまざまな困難を抱えていたのだと思います。経済的な困窮者も多かったと思います。さまざまな「必要」があったのだと思いますが、それに応じて、ささげられたものが分かち合われたとはなんという素晴らしい姿でしょうか。もちろん、時代や信仰の状況や、さまざまな違いはありますが、その精神は現代においても大切だと思います。

 同じような内容を記す4章34節には「一人も貧しい人がいなかった。」と記されています。さらに6章1節を見れば「やもめ」たちが多くいたことが想像され、ほかの手紙等を見ると「みなしご」も多くいたことが記されています。

 誕生したばかりの教会は、貧富、老若、いろいろな人が集まっていました。そうした人々が主イエスの名のもとに、みんな満たされて暮らしていたのです。

分かち合っていたのは、経済的な面だけではありません。信仰も、祈りも、そしておそらく喜びや悲しみも分かち合っていたのだと思います。イエスさまから教えられた「互いに愛し合いなさい」との教えをみんなが実践していたのだと思います。教会は、神の愛と隣人愛に満ちた、愛の宮だったのだと思います。

 今、大変厳しい時代を迎えていますが、私たちの教会も神の愛に満ちた場所として、いろんなものを分かち合って生きたいと思います。そしてその分かち合いが教会の外まで広がって行くように、祈りながら歩んで行きたいと思います。

 

2021年5月30日 聖霊降臨節第2主日礼拝 笹井健匡牧師


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