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「光」 エフェソの信徒への手紙5章6~20節

「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」(8節)と記されています。この「以前には暗闇だった」とは、神に向かって生きる人生ではなかったことを意味します。しかし、今は「光となっている」のです。主によって、暗闇と断絶することができ、光の子となることができたのです。光とは悪から遠ざかり、偽善を拒むものです。そして、光の中で私たちは生命を輝かせることができ、その中で善の方向へと歩いていくことができるのだろうと思います。そのためにも、「何が主に喜ばれるかを吟味(10節)することが大切なのです。私たちの価値基準は、神さまが喜ばれるかどうか、ということなのです。しかし、人間は弱い存在であり、時として、神さまを悲しませることをなしてしまいます。そのことに気づいたならば、懺悔し、悔い改めるということをしなければなりません。そして、もう一度神さまの方を向くようにすることが大事です。決して暗闇の方に戻ってはいけないのです。

「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。今は悪い時代なのです。」(15、16節)と記されています。愚かな者とは自分の考えを持たず、周りに流されていく人たちのことを指しているのではないかと思います。賢い者とは自分の意志をしっかり持つ者、何が神に喜ばれるのかを知っている者たちのことを意味しているのではないかと思います。「悪い時代」と記されていますが、このエフェソの信徒への手紙はパウロが獄中から書いたもの、獄中書簡の1つと言われています。キリスト教徒が迫害されていた時代に書かれたもので、悪がのさばる時代であったと言えるのだと思います。現在の世界も「悪い時代」です。ロシアのウクライナ侵攻による戦争の勃発、ミャンマーの軍事政権下で圧政が行なわれ、それに反対する人たちは、殺されたり、捉えられたりしています。また、アフガニスタンのタリバン政権も武力をもって国民を制圧しています。また、アフリカ諸国の中にもそのような体制下にあるところがあるようです。今年の3月11日で、東日本大震災が起きてから11年になりました。いまだ行方不明の人たちもおり、被災した人たちの心の傷は消えることはありません。そのほかにも日本国内においても、様々な問題があります。そのような時代に生きる者として、何が主の御心であるか悟ることが大事であろうと思います。

私たちは、「光の子」です。イエスさまから送られてくる光に照らされ、囲まれて生きる者です。時に暗闇の方へ行く誘惑にさらされ、負けることもあるかもしれません。しかし、闇は光に勝たないのです。私たちは再び立ち上がることができるのです。それは、光であるイエスさまが私たちの手を引いてくださるからです。すべての人に神さまのもとから光が与えられています。教会も光に満ちています。この光をさらに明るくするように、光の仲間が増えるように、祈る者でありたいと思います。

2022年3月13日 受難節第2主日 平島禎子牧師


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