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「喜びの信仰」 フィリピの信徒への手紙2章12~18節

今私たちは、受難節を歩んでいます。世界の状況もあり、心が暗くなりがちですが、今日は日曜日、主が蘇られた喜びの日です。6日間続く克己の生活をひと休みし、復活の喜びにあずかりたいと思います。

ローマの信徒への手紙12章15節には、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」という信仰生活のすすめがあります。日本人の心性としては、一緒に泣くことがより容易いかも知れません。一緒に喜ぶのは意外に難しいかも知れません。「もらい泣き」という言葉があるように、悲しいという感情の方がより根源的な感じがします。つまりわざわざ教え、すすめることをしなくても、共に泣くのは、自然にできるのかも知れません。

新約聖書には、「喜び」のすすめが多くあります。有名なのは「いつも喜んでいなさい。」(テサロニケの信徒への手紙一5:16)です。現実には厳しい伝道生活を送っていた初代教会の人々が、そんな中、いやだからこそ、現実を跳ね返すように「喜び」をすすめたのかも知れません。

今日の聖書で言うと、何事も、不平や理屈を言わず、喜んで行うことにより、信仰者は世にあって星のように輝く神の子となるのです。喜びは、信仰者を磨き、輝かせるものです。

パウロは最後に自らの殉教を覚悟しつつ、それでも喜ぶと言うのです。そして自分があなたたちと共に喜ぶのだから、あなたたちもわたしと一緒に喜びなさいと言うのです。ここには「喜びます」「喜びます」「喜びなさい」「喜びなさい」と4回も「喜び」が繰り返されています。

自らの罪と救いをだれよりも強く経験したパウロが、その大変な伝道生活を送りながら、特に今獄中にありながら、信仰の友へ送った言葉が「喜び」でした。パウロが伝えたかったのは、喜びの信仰でした。自らもその中に生き、そして何よりの宝物として、人生をかけ、命をかけて人々に伝えて行ったのです。

ここにいますわたしたちも、それぞれに主イエスと出会い、他にはない、大いなる喜びを経験して、今も信仰生活を続けているのだと思います。はじめに喜びがあったのです。その喜びに生かされ、救われている者として、それぞれの場にあって、喜びの信仰を輝かせて生きて行く者でありたいと思います。

 

2022年3月20日受難節第3(復活前第4)主日礼拝 笹井健匡牧師


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