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「神の家族」 使徒言行録2章43~47節

 児島教会創立74周年記念礼拝として、今日の礼拝を行なっています。1948年3月29日

に一人の信徒の家で児島教会としての初めての礼拝が行なわれました。児島教会の前身である味野教会の信徒の方たちがそこに集われていたのかもしれません。味野教会は約20年の歴史を有していました。ですから、味野教会時代から考えますと、児島教会の歴史というのは、約94年ということになります。それだけ長い年月をもって児島の地に有り続けたのです。児島教会は、15年間、会堂のない教会でした。信徒の家での礼拝が続けられてきました。それでも児島教会は教会として活き活きとした働きをなしてきました。兼務されていた佐敷牧師の働きも大きなものであったと思います。1958年、教会創立10年目の時に、藤岡友幸牧師が初めての専任の牧師、主任担任教師として赴任されました。そして5年後の1963年に念願の会堂建築もなされ、信徒の家での礼拝から公同の教会堂での礼拝へと変えられました。教会の礼拝もまた、家での礼拝で培われた神の家族の礼拝のようなものであったのではないかと思います。

 受難節なのに先取りをしてしまう形になりますが、ペンテコステ以降の信者たちの在り方が、今日の聖書には記されています。信者たちは、財産を共有し、毎日神殿に参り、その後、家に帰り、食事を共にし、神さまを賛美していたのです。信者たちの関係は水平であり、特別に偉い人も孤立している人も富んでいる人も貧しい人もいなかったのです。信者たちの集まる家は固定されてはいませんでした。「家ごとに」(直訳すると「家から家に」)集まり、使徒の教えを聞く時、祈りの時、交わりの時を持っていたのです。「食事を共にする」ということは、特別な意味を持っています。「パンを裂き」(46節)と記されています。「パンを裂く」ということはイエスさまがなされていたことでした。五千人の給食(マルコ6・1、マタイ14・15、ルカ9・16)の時、最後の晩餐(マルコ14・22、マタイ26・26、ルカ22・19)の時、そして復活後、エマオ途上で二人の弟子たちと食事をなした(ルカ24・30)時に、イエスさまは、まず「パンを裂く」ことをされたのです。この「パン裂き」は信者たちにとって特別な意味を持っており、イエスさまを想起するものであったのではないかと思います。パンを裂き、食事を共にし、賛美をなす弟子たちは、他の人々から好意を寄せられていました。そこから弟子集団に入りたいと思う人もいたのではないかと思います。それだからこそ、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」(47節)のです。

 教会は神の家族です。先に天に召された方々も神の家族であるからこそ、墓前へと私たちは導かれるのだと思います。私たち一人一人、神の家族として、互いを受け入れ合い、協力し合い、「共に喜び、祈り、感謝し」(テサロニケ一5・16~18)、新しい75年目の歩みをなしていく者でありたいと思います。

 

                    2022年3月27日 受難節第4主日 平島禎子牧師


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