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「心が燃える」 ルカによる福音書24章28~35節

 今日は、メーデーです。若い頃、母教会のある京都ではいろいろな集会&デモがたくさんありました。教会に行って、新しいことに目覚めた私は、伝道、奉仕はもちろんですが、社会の諸問題にも積極的に関わるようになりました。

4月29日は天皇誕生日、5月1日はメーデー、5月3日は憲法記念日ということで、GWにも関わらず忙しい日々でした。

 若かったこともあり、いろいろなことに関心を持ち、心を燃やしていたのだと思います。ちょうど「昭和」から「平成」へと変わる、時代の転換期だったのかも知れません。

今日の聖書は、有名なエマオ途上の場面です。いわゆる「パン裂き」によってイエスだと分かったことが印象深く記されています。ルカ福音書では12人の他に72人の弟子がいたことが記さています(10:1)。今日の聖書の2人の弟子はその内の二人だと思います。これは想像ですが、おそらくイエスさまの「パン裂き」は格別のものがあったのだろうと思います。たぶんとても心がこもっていたというか、神さまへの信頼に満ちていたというか、そしてまた独特のしぐさ、くせのようなものもあったのかも知れません。みんなはその時、食事の時が、満たされた幸せな時、良き交わりの時だったのではないでしょうか。

 しかしイエスだと分かったのには、大切な伏線がありました。それは「道で話しておられるとき」「聖書を説明してくださったとき」、「心が燃えていた」というのです。何か分からないけれども、心に熱いものを感じていたのです。おそらくそれはイエスさまと始めて出会ったとき、その後弟子となってからも様々な場面で、伝道、奉仕、そして食事と交わりのとき、神さまへの思いを共有し、心熱くされていたのではないかと思います。その経験があったからこそ、この時に復活の主イエスに出会ったのだと思います。

 ここにいます私たちも、人生の途上でイエスさまと出会いました。その経験は様々ですが、共通しているのは、心が燃える経験ではないでしょうか。その経験をしたからこそ私たちはイエスさまを自らの救い主として、今日まで歩んでくることができたのではないかと思います。

心が燃える経験をした者として、今年も復活の主と共に、信仰の歩みを進めて行く者でありたいと思います。

 

2022年5月1日 復活節第3主日礼拝 笹井健匡牧師


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