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「敬愛」 フィリピの信徒への手紙2章1~11節

 8日(金)安部元首相が亡くなられました。政治信条は真反対でしたが、しかしあのような最後はやはり、大変ショックであり、今は魂の平安とご遺族の上に慰めを祈るばかりです。

今日、7月第2主日は、教団の「部落解放祈りの日」です。また今年は水平社創立百周年の年でもあります。水平社宣言の中にある「精神」と、キリスト教信仰の共通点について見てみたいと思います。

 私たちが信仰の友のことを表現するとき、「敬愛する」という言い方をします。尊敬し、愛するという意味です。今日の聖書には、「へりくだり」と「尊敬」が勧められているように思います。そしてそれは、イエスさまがそうだったからです。

 私たちは、信仰をもってイエスさまを救い主として見ていますので、どうしても「十字架」に集中します。しかし一歩引いて考えると、イエスさまの時代、十字架で殺された「リーダー」たちは他にもいたのです。大きな違いは十字架そのものよりも、そこに至る「歩み」にこそありました。パウロが言っているように、最も高きから、最も低きへと歩まれたのがイエスさまでした。偉そうに「我こそは!」と叫んだ他のリーダーたちとは違い、へりくだり、僕として最後まで歩まれたのがイエスさまです。貧しい大工として歩まれ、大変な宣教活動をされ、多くの人を癒し、そして馬ではなく子ロバに乗ってエルサレムに入り、最後の晩餐では弟子の足を洗われました。

仕えられるためではなく、仕えるために来られたイエスさまは、その身を低くすることにより、相手を高く上げられたのです。「あなたの信仰があなたを救った。」という言葉にも相手への尊敬が込められているように思います。

 水平社宣言の最初の方には、「人間を尊敬することによって」差別からの解放を実現しようとする一文があります。踏みつけられ、辱められてきた被差別部落の人々を、サバイバーとして、人として尊敬する、きっとイエスさまならそう言われるのではないかと思います。

敬愛する姉妹兄弟たちのことを、これからも「自分よりも優れた者」と思い、信仰の道を歩んで行きたいと思います。「敬愛」こそ、クリスチャンの精神の、一丁目一番地であることを忘れずに。

 

     2022年7月10日 聖霊降臨節第6主日礼拝 笹井健匡牧師


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