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「勇気を出そう」 ヨハネによる福音書16章33節

映画「破戒」を見ました。最初から最後まで涙が止まりませんでした。新しい「丑松」像に、心からエールを送りたいと思いました。

 人類の歴史に、その進歩に、欠かせないものは、たくさんあります。私はその一つは「勇気」だと確信しました。はじめに「フグ」を食べた人がいました。火を使った人がいました。そして、神を信じて旅を続けた人がいました。奴隷の地を脱出した人がいました。そして命を懸けて、真の救いを説いた人がいました。多くの人々の勇気によって、今日があるのだと思います。

 今日の聖書は、ヨハネによる福音書におけるイエスさまの長い長い決別説教(15・16章)の最後の言葉です。この後、17章の祈りを経て、イエスさまは逮捕されます。

 もし、私が今、決別説教をするとしたら、やはり同じように、苦難の中にあっても、主にあって、勇気を出しましょう!と言うと思います。もちろん私は世に勝っていませんし、平和を与えることもできません。しかし、そんな私でも、やはり生まれてきて、こうして生かされている以上、人間の最大の力である、勇気を出しましょう、を最後の言葉にしたいと思います。

 丑松は、父の戒め、「かくせ、絶対に出自を言うな」の言葉に、苦悩しながら生きて来ました。そんな人生はもうやめにしましょう。破戒は丑松の専売特許ではなく、先に述べた、多くの人類の未来を切り開いて来た人々に共通するものだと思います。

 イエスさまは、自らがいなくなってから弟子たちがどれほど大変な人生を歩むかをよくよくご存知でした。多くの者は殉教の死をとげます。苦しみや悲しみをいやというほど経験しなければなりません。しかし、たとえどんな苦難が待ち受けていようとも、死にさえ打ち勝たれた主イエスが共に居てくださるのです。そのことによって得られる心の平和は、何ものにもまして、最強なのです。それはキリスト教2000年の歴史が証明している通りです。

 私たちも今、大変な苦難の中にいます。しかしそれでも私たちにはたくさんのものが与えられています。教会、住むところ、食べる物、そして何より信仰の友が、祈り合う仲間が与えられているのです。もはや、何をか恐れん、です。

 大丈夫、私がいる。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(14:1)共に居て下さる、友なるイエスを信じ、勇気を出してこの時を生き抜いて行きたいと思います。

     2022年7月24日 聖霊降臨節第8主日礼拝 笹井健匡牧師


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