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「神の憐れみ」 ホセア書11章1~11節

 今日、9月11日は、21年前の2001年にアメリカにおいて同時多発テロが起きた日です。この日を忘れないで、犠牲になられた方々のことを想い、心に刻み続けなければならないと思います。また、現在起きているロシアのウクライナ侵攻による戦争が一日も早く終わるようにと願うと共に、ミャンマーなど軍事政権下にある国々のことをも心に留めておかなければならないと思います。また、戦争に加えて、コロナウィルスの蔓延が未だに収束しません。もう2年以上の月日が経っています。21世紀が戦争と病の世紀にならないように、これからなんらかの希望が与えられるようにと願うばかりです。神さまは、このような私たち人類の愚かさや苦しみを放っておかれる方ではありません。私たちを憐れみ、希望の光を与えてくださいます。

 今日の聖書にはイスラエルの罪と神さまの憐れみということが記されています。神さまは、幼かったイスラエルの民を親が子にするように愛し、育ててくださいました。にもかかわらず、イスラエルの民は神さまから離れ、バアル信仰という異教の忌むべき神のもとへと走っていきました。そのことは神さまの目に悪と映ることでありました。そして、アッシリアという大国から北イスラエルは滅ぼされるのですが、そのアッシリアは、剣が町々を荒れ狂い、たわ言を言う者を断ち、たくらみのゆえに滅ぼされるのだ、というのです。そして、民が天に向かって叫んでも 助け起こされることは決してないと、言われるのです。神さまの怒りが頂点に達しているように思われます。が、しかしです。そのような強い怒りを持たれた神は、にもかかわらず、8節から11節までにおいて、イスラエルへの憐れみが記されています。それでも、神さまは、イスラエルの民を見捨て、滅ぼすことができない、と言われ、激しく心を動かされ、「憐れみ」に胸を焼かれる、と言われるのです。そして、「もはや怒りに燃えることなく、エフライム(北イスラエル)を再び滅ぼすことはしない。」と言われるのです。激しい怒りを持ちつつも胸を焼かれるほどの憐れみを、神さまは持たれるのです。そのようなことは人間にはできないかもしれません。しかし、神さまには可能なのです。神は神であり、人間ではないからです。私たちが計り知ることのできない、神さまの苦悩と胸を焼かれるほどの憐れみがあるのです。

私たちが、決して許すことができないような悪事を人間が働いた時、神さまはそのことに対して烈火のごとき怒りを持たれることでしょう。しかし、それでもなお、神さまは、胸を焼かれるような憐れみをもって、人間に働きかけ、導こうとしてくださるのです。神さまの憐れみは胸を焼かれるような激しいものです。この神さまの憐れみを知り、それほど深く、激しく、人間を憐れんでくださっているのだということを知り、罪多き人類、社会、世界において、神さまの憐れみを思い、その憐れみに応えて歩んで行く者でありたいと思います。

 

       2022年9月11日 聖霊降臨節第15主日 平島禎子牧師

 


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