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「真の自由」 ヨハネによる福音書8章31~38節

「真の自由」 ヨハネによる福音書8章31~38節

キリスト教世界の価値観のひとつに「自由」があります。いわゆる大正デモクラシーのころには「自由・平等・博愛」ということが盛んに言われました。平等、博愛はまだ日本人にも理解しやすかったと思います。しかし「自由」というのはなかなか理解しにくい概念でした。出エジプトの奴隷からの解放や、フランス革命の支配階級からの解放、アメリカの奴隷解放運動といった歴史を経験していません。またとかく枠や型を大事にする文化があります。

そんな日本人にとって、特に教会外の人々にとって、イエス・キリストは奴隷的隷属から人々を解放した「自由」の象徴としてとらえられました。

今日の聖書では、イエスは「イエスの言葉にとどまり」「真理を知」ったならば「自由」を得ると言っています。ユダヤ人たちは自分たちの先祖にはアブラハムがいる、つまり血統によって自分あちは神から覚えられていると自負していました。しかしそれは言わば「血」に隷属しているのであり、本当の意味で自由ではないとイエスは言われるのです。何物にも縛られず、神と直接つながること、それによって真の自由を得ることができるのです。

ここでは「真理」は明らかにされていませんが、最後の晩餐のとき教えられたように、イエスがわたしたちを愛されたように、互いに愛し合うこと、愛は神から出ていること、神は愛であること、これが心理なのです。

神が愛である、という真理を知ったならば、自由になり、この世の様々なものに惑わされずに人を愛していくことができるのです。そして自由に他者を愛していく歩みをなしていくことで、自分自身さらに自由になっていくのです。

今、十字架へと歩みゆかれるイエスは、自由をもたらすためにこの世に来てくださいました。わたしたちはそのイエスを信じる者として、何物からも自由になり、主イエスの十字架の愛を、神が愛であることを人々に伝えて行く歩みをなして行きたいと思います。

2017年3月5日 受難節第1主日礼拝 笹井健匡牧師

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