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「悔い改め」 ヨブ記42章1~6節

「悔い改め」 ヨブ記42章1~6節

3・11東日本大震災から6年になります。まだまだその痛みは癒されず、復興も道半ばです。特に福島の被災地は、先行きがいまだ不透明です。6年前、確かに多くの人々は、その衝撃の大きさから今までの在り方を考えさせられました。人類とは、?という根源的な問いまでなされました。しかしいつのまにか、それらのことはうやむやになり、いっときの、若い頃の知恵熱、みたいな感じで忘れられ、まるでなかったかのようにして、自分の日常を生きるのに精いっぱいの人が多くなりました。

福島の人々が経験した「不条理」は、今日の聖書のヨブの苦しみと通じるところがあるように思います。ヨブは神の前に正しく生きていた人でした。しかしある日サタンの試みを受けるようになり、家畜、僕、さらに子どもたちまで奪われるようになります。しかしそれでもヨブは「わたしは裸で母の胎を出た・・・」と神への信頼を捨てず、試練に打ち勝ちます。さらに自分自身の身に災いが及んでも「・・・不幸もいただこう・・・」とその試練に耐えたのでした。しかし3人の友人たちが見舞いに来たのち、ヨブは口を開いて、自分の生まれた日を呪い、神を罵倒するかのような言葉の数々を語るようになりました。

そんなヨブに38章で神はついに応答されます。そして今日のところでは、心から悔い改めたヨブの、神への懺悔の言葉が記されています。

ヨブは、自分は正しい、と自己認識して生きていました。私自身もどこかで、自分は正しい、原発に反対し、過剰な建造物に反対し、自然と共に、人と共に生きることが大切だと主張し、少しはそう生きてきた、と自負していました。しかし、もし、自分が被災していたら、そんな軽口は吹っ飛んだのではないかと思います。自分が今、大丈夫だから、安全圏にいるから、シャーシャーといろいろ言うことができるにすぎないのです。

悔い改めとは、神の前に自分を退けること、そしてイエスさまの十字架を前にして、その責任が自分にあることを認めることだと思います。そうして心から真実に悔い改めをするとき、その悔い改めが広がっていき、民全体として生きなおすことができるのではないかと思います。

神さまに対して、自分を退け、そして被災者の人々が救われるように祈る者でありたいと思います。また自分は正しい、という傲慢な思いを悔い改め、神の前に心を打ち砕かれて、受難節のときを一歩一歩歩んで行く者でありたいと思います。

2017年3月12日 受難節第2主日礼拝 笹井健匡牧師

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