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「新しい知らせ」  詩編96篇

 2019年、新年おめでとうございます!新しい年を迎え、こうして共に教会に集い、一緒に新しい歩みを始められることを神さまに心から感謝いたします。
 2018年は悲しい出来事の多い年でしたが、その中にあっても神さまの恵みは、ここに集う私たち一人ひとりの上に注がれていたと思います。新しい年がどのような年になるのかは分かりませんが、たとえどんなことがあっても、神さまを信じ、互に愛し合いながら、支え合いながら進んで行きたいと思います。
 この詩編96篇は、「歌え」「たたえよ」「告げよ」「伝えよ」という言葉で始まります。イスラエルの民の、神さまに対する思いがひしひしと伝わって来る気がします。神さまは驚くようなことを、人知をはるかに越えたことを私たち人間の上になされる方です。旧約の民は、その歴史の中で数多くの危機を経験して来ましたが、そのたびに、最終的には神に立ち返ることによって救いの道が開かれ、その歩みを刻み続けて来たのです。そこには、自分たちが信じている神さまへの絶対的な信頼があります。
 そしてその神は、民族の枠を超えて「公平」で「正しく」「真実」な方なのです。もちろん、他民族への感覚は、現代からすると問題もありますが、しかし自分たちが信じている方は万物の創造主であり、そして人間を、基本的には平等に捉えようとする「芽」が、ここにはあるように私には思えます。だからこそ、主イエス・キリストが誕生し、そして「福音」は世界へと広がって行ったのだと思います。
 私たちは今、新年を祝い喜ぶために集まっています。「天」も「地」も、そして「海」も「野」も「森の木々」も、喜びに溢れ、踊るように歌えというのです。それは「御救いの良い知らせ」があるからです。今まで聞いたことがないような、想像したこともないような、新しい知らせが、そこにあるのだと思います。
 今、クリスマス週間を過ごしていますが、私たちクリスチャンにとっては、それは何よりも主イエスのご降誕であり、救い主が私たちのところに来てくださったという喜びです。長年信仰者として歩んでいると忘れてしまいがちですが、まだイエスさまを知らない人にとっては、かつての私自身もそうでしたが、全くの、聞いたことのない、新しい知らせなのです。
 まず、伝えてみましょう。知らせてみましょう。難しいなら、祈りましょう。新しい年の歩みが祝されますように、心から祈りましょう。

2019年1月1日 新年礼拝 笹井健匡牧師    

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