• 記事検索

RSS

「心の叫び」  エステル記4章1~3節

 今年は降誕節が長く、本来ならうれしい時をずっと過ごせると考えていたのですが、人間の思いと神さまの思いは、やはりちがったようです。
 6日(水)には、レント(受難節)に入ります。「灰の水曜日」と呼ぶわけですが、今年はその「灰」の背景にある、イスラエルの民の苦難に思いを寄せてみたいと思わされました。
 今日の聖書はエステル記です。「エステルの勇気」が民族の危機を救った物語ですが、そこにいたるまでには悲痛な苦しみ、心の叫びがあったのだと思います。
 イスラエルの民は旧約の時代を通して、大国の中で多くの困難を経験した民でした。一番の出来事は、あの出エジプトです。あのときも、神さまはイスラエルの民の心の叫びを聞き、後にモーセを召して、エジプトから救い出す、という大きな業を為されたのです。
 今回は、バビロン捕囚後もバビロン、この時にはペルシャになっていましたが、そこに住み続けたユダヤ人の危機が背景になっています。7節にありますが、その街に住むすべてのユダヤ人を絶滅させる、という陰謀がすすめられようとしていたのです。そのことの一部始終を知ったエステルの養父モルデカイは灰をかぶり、叫び声をあげたのです。他のユダヤ人たちも同じように、灰の中に座り、悲嘆にくれました。モルデカイはエステルにこのことを知らせ、エステルは一度は無理だと断りますが、最終的に、命がけで王に直訴することになります。そしてユダヤ人を救ったのです。
 エステルの勇気ある行動の前提に、「三日三晩断食」(4:16)というのがあります。この断食は、言わば神さまへの直訴だと言うことができると思います。心の叫びを、時に自らの罪を悔い改めながら、神さまに救いを求める行為なのだと思います。そしてその人間の、心からの叫びを、神さまは聞いてくださり、救いの手を差し伸べてくださったのだと思います。
 私たちもどうしようもない苦しみ、絶望に出会うこともあるかも知れません。しかし、そのとき心からの叫びを神さまに向かってあげる者でありたいと思います。人間ではなく、神さまにこそ助けを求めるのです。
 受難の道を一歩一歩歩んで行かれるイエスさま、最後の最後まで神さまを信頼し、心の叫びをあげつつ歩まれたであろうイエスさま、そのイエスさまにこそ私たちは従い行く歩みをこのレントのとき、為して行く者でありたいと思います。

2019年3月3日 降誕節第10主日 笹井健匡牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):