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「解放の光」 ルカによる福音書4章16~19節

「解放の光」 ルカによる福音書4章16~19節

 アドベントクランツの2本のロウソクに火がともりました。いつもの年ですと、あと1回しかアドベントがないのですが、今年は、ちょっとゆっくりというか、ゆったりし過ぎている自分がいます。こんなにちがうのかな、と不思議ですが、わたしは基本的に「あせり」なので、もうあと一回しかアドベントがない、とあせってしまうわけです。しかし今年は、まだ2回も、アドベントがある、とちょっと余裕があるわけです。それでもう一度、初心に帰って、じっくりとクリスマスを迎えて行きたいと思わされました。私の今年のテーマは「じっくりすます」です。そこでイエスさまは、どんな使命をもって、この世に誕生されたのか、神さまから遣わされた原点を考えてみたいと思います。
 今日の聖書18節には「貧しい人」という言葉が出て来て、その人たちに福音を告げるために、神さまはイエスさまを聖別された、とあります。「貧しい人」というのは、単に経済的な困難を指しているのではない、そのことは次の108頁をみればよくわかります。最後に「被圧迫者」を「自由」にすると記されています。文字通り獄にある人だけでなく、「律法」に縛られている人も連想されます。また、視覚しょうがい者だけではなく、様々なしょうがい、また難病の人たちのことが思われます。そしてローマ植民地であったために、今の沖縄と同じように、軍人によるさまざまな暴力があったことが目に浮かびます。
 そんな状況下で、主イエスは「主の恵みの年」を告げる、と言われたのだと思います。レビ記25章に詳しく書かれていますが、恵みの年とは、ヨベルの年のことであり、50年に一度、この年には全住民に解放の宣言がなされたのです。
 イエスさまは、ルカでは、宣教活動の最初に、しかもたった一人で、ふるさとに行かれました。そして殺されそうになったのです。マルコ、マタイでは、「預言者がふるさとで敬われないこと」が記されています。ルカでは命まで、落とされかけたのです。
 ヨハネ3:16~19には、人々が、「光」よりも「闇」を好んだことが記されています。私たちはどうでしょうか。…。
 すべての人を完全に解放する、まことの光として来られた主イエス。アドベントクランツに明かりを1本1本ともしながら、またアドベントカレンダーを一日一日開けて行きながら、主イエスを迎える、心の飼い葉桶を準備していく者でありたいと思います。

2016年12月4日 待降節第2主日 笹井健匡牧師

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